ママはセッションで出てきた高次の存在に、こんなことも聞いてみたんだって。
「2回目の勉強会のときなんだけどね、うららちゃんが1回目も2回目も 急用ができたりして、ドタキャンになったの。
それで、彼女が2回連続欠席になったのには、理由があるんですか?って、聞いたの」
だって、急用ができたんでしょ?
「うん。でも、そんなのは三次元的な理由だから」
三次元的な理由?
「そう。体調をくずしたとか、急用ができたとか、表向きはそうなるんだけど、 実はそういう風に仕組まれているというか・・・」
そんなこと、あるの?
「うららちゃんが来なかった理由は、そのときの勉強会の内容が、 彼女は既に知っていることだから、来る必要がなかった、って言われたの」
ママは驚いたが、それ以後、誰かがドタキャンすると、その理由を高次の存在に 聞いてみることにした。
ある時は、その勉強会の内容に必要な人だけが参加したのだと言われた。
それはレイキの実践会だったり、アロマの講習会だったり、 確かに、それを今勉強する必要のある人だけが出席しているかのようだった。
また、ある時は信じられないようなことを言われた。
「急遽、美帆さんがセッションをすることになったときのことなの。
美帆さんのハイヤーセルフにアドバイスを求めたら、
”このように(知識を)インプットするのも必要だが、インプットするばかりではなく、 アウトプットもしなさい”と言われたの。
そして、それは美帆さんだけではなく、ここにいるみんな(注:そのとき勉強会に参加していた人たち)も同じ、って」
「そしてね、今日はこのことをみんなに言うために集まってもらった」って。
それで、ママは、「ドタキャンしたミミさんはどうなんですか?」と、聞いた。
すると、「彼女は(アウトプットを)頑張っている」という答えが。
実際、その頃、ヒプノを仕事としてスタートしていたのは、ミミさんだけだった。
だから、うなづける話ではあるのだが、ママはとても疑問だった。
「あの~、今日は急に美帆さんのセッションをやる事になったんです。
それなのに、そのアウトプットのことを聞くために私たちが集まって、ミミさんは聞く 必要がないから来なくてよかった、ということはですね・・・・、あの、つまり、 私たちは、たまたま美帆さんのセッションをやろうか、と思いついたけれども、 実はそれは最初から決まっていたということですか?」
「当たり前だ」という答えが返ってきた。
ママは思い切ってこう聞いた。
「ではですね、私がそのセッションで何を聞くのかも (あなたたちには)あらかじめ、わかっているというわけですか?」
「そうだ」
「え~っ・・・・・」
全てのことは必然であり、偶然はないとは聞いていたけれども・・・・・。
でも、ママは本当にびっくりしたんだって。
「それからはね、何かの集まりごとに誰かかが急に来られなくなったり、 遅れたりしても、 あるいは何かの予定が変更になったりしても、
”これはきっと必然なんだな”と 思えるようになって、
楽になっちゃった」とママは言った。
落胆したり、苛立ったりすることがなくなったからなんだって。
(自分が知らないだけで)もともと想定内の出来事なんだと思えば、
冷静にその事実を受け入れられるから。
後にHiroさんも同じようなことを言っていた。
勉強会の日、知人に紹介されたお店に寄ってから来るつもりだったのに、 行ってみたら、そのお店が閉まっていた。
今までだったら、がっかりしてたのに、
その時は、「そのお店には行く必要がなかったんだ」と思えたんだって。
そして、そのあと、ふとしたことがきっかけで、ママが2日前にメールで
貸してほしいと頼んでいた本を家に忘れていたことに気付き、 取りに帰ることに。
おかげでママはその本を借りることができたし、
これもまた後になってわかるんだけど、
ママがその本を、どうしても急いで読まなくてはいけない理由もあった。
Hiroさんがこの一連のことを「シナリオ」と言ったが、
本当にすべてはうまくシナリオ通りに動いているという出来事だった。
更に、「シナリオ通り」の圧巻ともいうべき出来事が半年後に起きた。
ママは、今でもそのときの話になると、
「信じられない。本当にあんな不思議なことってあるんだね」と感慨深げだ。
それは、Y子さんのメールから始まった。
Y子さんというのは、ママがアロマテラピーの講習を受けに行ったときに、 後ろの席に座っていた人である。
3日間同じ席に座っていたので、一緒にお昼を食べたり、
最終日にはカフェでお茶をしたりもした。
それっきりだったのだが、3ヶ月経って、突然メールが来たのだった。
たまたま用事があって、(ママの家の)近くまで来ているという内容だった。
後で聞いたところでは、「ふと」、ママのことを思い出して、
メールをしたとのことだった。
ママは「何となく」、Y子さんの用事が終わった後に、時間があるのなら
お茶をするのもいいかな、と思った。
最初はママが出かけていくつもりだった。
が、「急に気が変わり」、
良かったら、遊びに来ない?と家に招くことにしたのだった。
ママ、その、「ふと」、「何となく」、「急に気が変わり」、って、
ぜ~んぶ、「シナリオ」なんでしょ?
「後で考えると、そうだよね」
もちろん、その時点では、ママは何にも気付いていなかったんだけど。
家に来たY子さんが疲れている様子だったので、ママはリラクゼーションを やってあげた。
リクライニングチェアにゆったりと座ってもらって、 言葉で誘導しながら、頭から足の先まで、順々にリラックスしていってもらう。
事務仕事などで頭ばかりを使っていたり、何かを悩んで考えてばかりいると、 エネルギーが体の上部に上がってしまう。
そんなときには、 左脳を休ませ、心と体を緩ませていく。
そうすると、 エネルギーが、体全体を卵形にすっぽりと被う状態に戻り、 疲れがとれて、すっきりするのだ。
ママは、その目的でY子さんにリラクゼーションを行っていたんだけど、「何故か」、セラピーを やらなければいけないような気がしてきた。
それで、リラクゼーションが終わると、催眠療法の簡単な説明をした上で、 受けてみるかどうか、聞いてみた。
Y子さんは、
「恐いもの見たさでやってみようかな」と言った。
ママ、その、「何故か」、って言うのも「シナリオ」だよね?
「うん。」
でも、まさかこの後、すごい展開になるなんて、ママは全く予想だにしていなかった。
さて、セラピーをやることにしたものの、Y子さんが特段、何かを希望した わけでもなく、ママがなぜか「やらなければいけない」と思っただけだから、 どんなセッションをしたらいいものか、ママは迷った。
Y子さんは、強いて問題点を挙げるとしたら、最近、外に出るのが おっくうなことぐらいだと言った。
それで、ママは、とりあえず、その原因がわかる場面へ、と誘導してみた。
が、過去世へも、幼児期へも、どの場面へも行かなかった。
黒い点や、幾つかの抽象的な場面が出たり、消えたりを繰り返した後、 草原で胡坐をかいているシーンに行き着いた。
「今、どんな気持ちですか?」とママが聞くと、
Y子さんは、「太陽が欲しい」と言った。
「上を見上げてください」、と誘導すると、
光が見える、あたたかい感じがする、との返事。
雲を呼び、その雲に乗って上昇し、光の中へ入っていくイメージをしてもらう。
Y子さんは、光から沢山のパワーをもらっていたようだ。
しばらくすると、「何も見えなくなった」と言った。
ママは、Y子さんは今、光のパワーを沢山必要とする時期なのかもしれないと思った。
そこで、
「またパワーをもらえるか聞いてみてください」と言った。
ママは、そうは言ったものの、「誰に聞いて」と言ったわけでもなく、
ハイヤーセルフも呼び出していなかったので、果たして返事が
来るのだろうかとちょっぴり不安だった。
が、即座に、「いつでも」という答えが返ってきた。
「どうやって?」
今度は思わず、ママが聞いてしまった。
「両手(の平を)を光にかざす」
Y子さんにはそのやり方が具体的にわかっているようだったので、 ママはそれでよしとした。
そして、「他に何かやりたいことや、見たいものはありますか?」と聞いてみた。
Y子さんは、「今日はこれでいいという感じがする」と言った。
「それでは、今日は戻ってきましょう」といいながら、
なんと、次にママの口をついて出た言葉は、
解催眠の誘導ではなく、
「なぜ、彼女は人のエネルギーを受けてしまうのですか?」という質問だった。
え?ママ、なんで、そんなこと、聞いたの?
「自分でもわからないの、エフちゃん」
家に来てもらって、元気だった?なんて、少し世間話をした際に、
Y子さんが人のエネルギーを受けやすいというような話をしていた。
解催眠の誘導をしようとした瞬間に
なぜかそのことが突然浮上してきたのだという。
質問をしたママ自身が一番驚いていた。
しかも、ママの質問は特定の誰かに向かって放たれたわけではない。
空(くう)に向かって言ったようなものだ。
それなのに!
それなのに?
「エフちゃん、ママは心臓が止まるかと思った!」
「なぜ、彼女は人のエネルギーを受けてしまうのですか?」
ママがそう問いかけると、
しばらくの沈黙の後、Y子さんの体が小刻みに震え始めたようにみえた。
その様子に、ママは何事かと目を見張った。
そして、震えがおさまった次の瞬間、野太い男性の声が響いてきた。
かなり興奮している。
「S氏に聞け!
S氏に会ってからだ! (ハアハア・・・・・)」
大きな太い男の声が、いろんなことを一気にまくしたてた。
Y子さんの豹変ぶりに、ママは呆然とした。
「・・・・・・・(な、何かの憑依?)」
ママは動揺を隠せなかった。
男はなおも興奮気味にまくしたてた後、
一息ついて、こう言った。
「おまえ、いい奴だなぁ!」
(は?)
「おまえ、いい奴だなぁ!
俺の言葉を伝えてくれて!」
ママ:「おまえって、誰ですか?」
「あなただよ!」
ママ:「私ですか?」
「そうだ、いい奴だ」
ママ:「はあ、ありがとうございます」
ママは冷静さを取り戻していた。
憑依では?という懸念が頭から離れない。
ママ:「あなたは誰ですか?ハイヤーセルフなの?」
すると、思ってもみない返事が!
「俺は神様だ」
(神様? まさか!やっぱり何かの憑依?)
そのとき、
Y子さんがいつもの彼女の声で
「マサコさん!」と、ささやくように話しかけてきた。
そして、小さな声で、
「目の前に竜がいる!」と言った。
(えっ?竜 ?)
ママは思わず、こう言った。
「あなたは神様ではないんですね?」
と、Y子さんが慌てたように、
「マサコさん!竜神様!」と言った。
ああ、竜神様・・・・・。
「竜神様がなぜ、出てきたのですか?」と聞くと、
「Y子さんを守っているのだ」という答えが返ってきた。
そして、守っている理由も話してくれた。
「あなたがY子さんを今日、ここに呼んだのですか?」とママは聞いてみた。
シナリオを確認したんだね?
「そうなの、エフちゃん。やっぱりそこが気になって」
「偶然」とか、「たまたま」とか、(三次元で)捉えている事象は、
実は、事前に仕組まれていたりするってことを、ママは十分に分かってきていたから 、聞かずにはいられなかった。
案の定、「そうだ」という返事が・・・・。
でも、その後に続いた言葉に、ママは心底驚いた。
「お前はいい奴だから、(アロマの教室のとき)、あの2番目の席を 空けておいたのだ」
アロマの講習会では席は自由だった。
時間ぎりぎりに着いたママは、 たまたま空いていた一番前の席に座ったのだ。
その後ろの席には、Y子さんが座っていた。
(つまり、あらかじめ、ママが座る席が分かっていて、Y子さんを前から2番目 の席に座らせたって、こと?)
授業中、先生が何度もムエット (アロマの香りを染み込ませた試香紙)を配り、前から順に後ろに回していった。
ママはその都度振り向き、Y子さんに渡していたので、
自然と会話を交わすようになったのだった。
え~っと、つまり、竜神様は、そのアロマの教室の時から、ママに目を付けていて、
二人が知り合いになるように、席を工夫し、
ある時がきたら、Y子さんがママに連絡をとり、
そして、ヒプノをやるように仕組んだ、ってこと?
「うん。そうなるよね。だって、外で会ってたら、ヒプノはできないもんね」
でも、竜神様は、なんで、ママとY子さんが知り合いになるように仕組んだのかな?
その理由は、セッションの後のY子さんの説明で明らかになった。
Y子さんには何らかの事情があり、毎晩寝る前に竜神様にお祈りをしていたのだそう。
ある時には、竜神様のメッセージを聞いたかのように思ったこともあったのだとか。
確信は持てなかったらしいが・・・・。
それで、「いつか、会えるといいね」って、話しかけていたのだとか。
ああ、それを竜神様が聞いて、ママのヒプノを通じて会えるようにしたんだ!
「うん。そういうことだよね」
竜神様は最後に、また、
「お前はいい奴だなあ」と繰り返し、
そして、
「お前も頑張れ」と言った。
「あなたは本当に神様なの?」とママが聞くと、
「神様だった」と謎の言葉を残して、姿を消した。
神様だった、って言ったの?どういう意味かな?
「きっと、何か事情があるんだろうね」
Y子さんの詳しい事情は分からないが、
このヒプノのセッションが必然で行われ、
それが彼女の役に立ったのならば、ママはそれだけで良かった。
それに・・・・。
次の日に、不思議なことが起きた。
ママは通勤電車の中でこのセッションのことを思い返し、
心の中でこう言った。
「あなたが、本当に竜神様だったのなら、証拠を見せて」
すると!
電車の中から見える空の雲のひとつが・・・。
「くっきりと竜の形をしてたの!エフちゃん、信じられる?」
ママとY子さんの間には、この日を境に、更にいろいろと不思議なことが起こり始めたのだが、
それは、また後日・・・・。
(7/29から毎日欠かさず連載してきたこの物語ですが、3週間ばかりお休みしました)
ママは、しばらくの間、何も書けなくなった。
ある日、突然、手が止まった。
「どうしちゃったんだろう・・・」
今までは、思いつくままにスラスラ書けていたのに・・・。
ため息をつきながら、ベンジャミンの木を見つめる。
ママはこの木を見ると、つい笑ってしまう。
うちに来たのは半年前。
みつるお兄ちゃんが1メートルもあるこの木を両手に抱えて帰ってきた。
「何だか、セッションルームに必要な気がして」と言って。
ママは早速名前を付けた。
「ベンジャミンのベンちゃん!」と呼びかけた。
すると・・・・。
「ベンちゃんは嫌だ。”便”を想像するから」と抗議の声が返ってきた。
ママはマジマジと木を見つめていた。
空耳じゃないよね?
「じゃあ・・・、ジャミちゃんは?」
・・・・・・・。
返事がない。
ジャミちゃんに決定する。
ママはジャミちゃんを見る度に、このいきさつを思い出して笑いが込み上げてくるのだと言う。
ジャミちゃんはうちに来てから、日々、葉っぱが落ちるようになった。
お花屋さんでは、ベンジャミンは環境の変化に敏感だから、一度葉っぱが(全部)落ちてしまう場合もあると 言われたのだけど・・・・。
それでもママは心配で、「落ちないでね、お願い」と言いながらせっせとレイキをやっていた。
だけど、ある日、勉強会で仲間が集まった時に、ジャミちゃんの葉っぱがなぜ落ちるのかを リーディングしてもらったら、全員が同じことを言った。
「気にしないでね、って言ってるよ」
「大丈夫だから、心配しないでね、って」
そっか・・・・。
ママは葉っぱが落ちることにばかり気をとられて、「落ちないで」って言い続けてたけど、 木にとっては、何かしらそれなりの理由があるのだ。
それで、ママはこう言った。
「葉っぱが落ちてもいいからね。
自由にしてね。
ぜ~んぶ落ちても平気だから。
そしてまた、元気に葉っぱが出てくるのを待ってるからね」って。
木には木のペースがあるのだから。
「でもエフちゃん、不思議~。
そういう風に言ったら、翌日から葉っぱが落ちなくなったんだよね」
それに、みつるお兄ちゃんは、「何となく必要だと思って」と言ったけど、うちに来た理由は、「しゃらちゃんをサポートするため」だと教えてくれた。
「本当に全てに意味があるんだね」とママは感心していた。
そう、ジャミちゃんもそうだけど、すべてに自然の「流れ」というものがあるらしい。
ママは、書けなかった時に、
「なぜ、私は(ブログが)書けなくなったんですか?」と、しゃらの木に聞いてみた。
「なぜ、今はお休みしているの?」
すると、こう言われたのだ。
「あなたは休憩しているときに、、
”なぜ、私は今、休憩しているんだろう”といちいち考えるのか?」って。
例えば、山に登る時、あるいはハイキングでもいい。
歩き疲れたら、ごく自然に休憩を取り、気力がみなぎって
「さあ、また頑張ろう」という気になったら、腰を上げて再び歩き始める。
自分の体が休息を必要とするときは自分でわかる。
そして、その休憩中に、
「何故、私は休んでいるのだろう」などと考えはしない。
むしろ、ぼぉ~っとして、疲れを癒しているはずだ。
う~ん・・・・・、確かに。
何かをするときに、休息もとらずにぐんぐん突き進むだけ、ということはあまりなさそうだ。
「よく、ダイエットでも、体重の減少は”階段状”だって、言われるでしょう?」
階段状?
「そうだよ、エフちゃん。
体重が落ちて喜んでると、ある時期、停滞して減らなくなるの。
でもまたしばらくすると減り始めて、そしてまたある時期になると停滞して・・・って」
ああ、だから、「階段状?」
「うん。英語の勉強とかスポーツとかでもよく言われるよね。
右肩上がりに伸びているかと思うと、停滞して、ってそれを繰り返すみたいだよ」
そっかぁ・・・。
ママも自分では気付いてなかったけど、何らかの理由で(書くことに)休憩が必要だったんだね?
「そうみたい」
そして、港区の「自然教育園」の木にはこんなことを言われた。
そこは都心にありながら 自然の面影を残す数少ない森。
昔の武蔵野の自然がそのまま残っている。
この園の中を歩いていると、たくさんの木々や植物が歓迎してくれているのを 感じられて、ママはとっても幸せな気持ちになるのだそう。
「こんにちは!」と木々に話しかけながら園内を散策していたママは、 嬉しさのあまり、こう言った。
「ねえ、何かメッセージをちょうだい?」
すると、木々が答えた。
「マサコ、いつもメッセージ、メッセージって・・・。
”いま”を生きることも大事だよ」
あっ、そうだった。
「今、このとき」を感じること。
それが大切だったのに・・・。
いろんな人生のしくみがわかってくると、それはそれで面白くて、
つい、「なぜだろう」とか「どんな意味があるのかな」とか
追求したくなってしまう。
そして、目の前の日常を忘れてしまいがち。
目の前の一瞬一瞬の出来事に、喜んだり、悲しんだり、感動したり、そうやって「体験すること」に意味があるのに 、
「全ては必然」だからと、「これはどういう必然だったんだろう?」とその理由にばかり考えを巡らせてしまう。
それは例えていうなら、
からくり人形の動きに「すご~い!」と感心することなく、
「どうやってあんな動きが出来るのかな?」と分解して、「こんな仕組みだったんだ~」で終わらせてしまうようなもの。
あるいは
万華鏡が織り成す色や模様の美しさに感動することなく、
その仕組みを紐解いて、「なるほどね」と、納得することの方に重きを置いてしまうようなもの。
仕組みを知ることが必要な場合もあるだろうけど、
現れている事象の美しさや不思議さに感動することを忘れてしまっては本末転倒。
潜在意識の追求はとっても面白いけど、
日常生活での日々の積み重ねをおろそかにしてはいけないと、木は教えてくれたのだった。
(でも、ママはその前に、シータヒーリングを使って、ちゃっかり「休憩している理由」を教えてもらってたんだけど)。 (笑)
第16章~ペットと繋がる