
丑三つ時に出発したTさんは、ひたすら車を走らせた。
私: なんで「丑三つ時」なんて! (笑)
夜中の〇時、って言えばいいのに。
そうなんだけど。
Tさんはずっと「みわ殿」と一緒にいたからか、言葉が
現代離れしている。(笑)
満月を見ながら運転を続け、朝方には岐阜に着いた。
目的地は特に決めてなかったのだけど、なんとなく
合戦地すべてが見渡せる丘、とひらめいて、
検索すると、「石田三成陣跡」がピン!ときたのだそう。
(「関ヶ原の戦い」は、岐阜県関ケ原町を主戦場として、
徳川家康を大将とする東軍と、石田三成を中心とする西
軍とが争った。
戦いのさなか、西軍の小早川秀秋らが東軍に寝返り、
結果、わずか6時間の戦いで徳川側が圧勝した。
「石田三成陣跡」へ向けて走り出すと、左肩にいる「みわ殿」は
ウルウルきていたが、そのうち、いるのかいないのかわから
ないぐらい、シ~ンとしていたそう。
一方、右肩の鎧武者は、興味津津、身を乗り出してきたので
Tさんは右肩に重みを感じ、
思わず、
「こらーっ! 重いっちゅうねん! 離れろーっ!」 (笑)
ろくに下調べをしていなかったにも関わらず、なぜかすんなりと
到着。
Tさんは、さっそく「浄化」に入る。
以前、長野県全体を浄化した時のように、船をイメージする。
が、今回も船はあっという間に満杯となり、やはりタンカーを
出動させるはめに・・・。 (笑)
光に帰ることを躊躇していたり、隠れている者にも呼びかけ、
全員が乗ったところで、いざ、出発。
「みわ」殿は船に、鎧武者はタンカーに乗って。
無事、光に帰って行ったそう・・・・。
思いの外、スムーズにできて、
Tさんも、「あれ? こんなもん?」ってあっけなく感じたらしい。(笑)
その後、合戦の地となった土地、山、木々も気になったので、
光を送ってあげたのだとか。
ママ: ほら、昔、そこで大勢の人が戦って、血を流し、命を
落としたわけでしょう?
山や木々もみんな目の前でそれを見ていたし・・・。
だから、浄化してあげようと思ったんだって。
すると、意外なことに、合戦に参加した武将たちではなく、
足軽たちの感情がどっと押し寄せてきたのだとか。
ママ: 「足軽」っていう人たちはね、もともと武士ではないの。
大部分が農民だったんだって。
臨時雇用みたいな感じで、平安~鎌倉時代においては、
戦場での下働きをしていたんだって。
だから、戦うことはなかったの。
室町時代になって戦法が「一騎打ち」から「集団戦法」へシフト
していくと、戦いに参加させられるようになっていったらしい。
関ヶ原の戦いが起きた戦国時代においては、戦闘部隊の大半を
足軽が占めるようになっていて、彼らは最前線で、まるで捨駒の
ように扱われることもあったのだとか。
農民たちは徴兵制によって、半ば強制的に戦に駆り出されていた。
Tさんがキャッチしたのは、そういう彼らの「想い」だったのだろう。
「殺すなんておっかない! でも、やらねば、やられる」
絶望や後悔にさいなまれながら、最前線で戦った彼らの想い・・・。
「村に、家族の元に帰りたかった」
悲しみの中、息絶えていった彼らの想い・・・。
普段、百姓や下働きをして穏やかに暮らしていた彼らは
時代の波に翻弄されて、その尊い命を戦場で散らしていったのだ。
Tさんは彼らを光に帰そうとしたけど、なかなか帰らなくて、
何度も何度も呼び掛けたのだそう。
ようやく何度目かの呼びかけで、成功した。
ママ: その光景はね、まるで洗濯洗剤のCMみたいだったって。
洗濯機に汚れがフツフツと浮いてきて、そして離れていく
ような・・・・。
そんな風に光に帰っていったんだって。
さらに・・・。






























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私: なんで「丑三つ時」なんて! (笑)
夜中の〇時、って言えばいいのに。
そうなんだけど。
Tさんはずっと「みわ殿」と一緒にいたからか、言葉が
現代離れしている。(笑)
満月を見ながら運転を続け、朝方には岐阜に着いた。
目的地は特に決めてなかったのだけど、なんとなく
合戦地すべてが見渡せる丘、とひらめいて、
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(「関ヶ原の戦い」は、岐阜県関ケ原町を主戦場として、
徳川家康を大将とする東軍と、石田三成を中心とする西
軍とが争った。
戦いのさなか、西軍の小早川秀秋らが東軍に寝返り、
結果、わずか6時間の戦いで徳川側が圧勝した。
「石田三成陣跡」へ向けて走り出すと、左肩にいる「みわ殿」は
ウルウルきていたが、そのうち、いるのかいないのかわから
ないぐらい、シ~ンとしていたそう。
一方、右肩の鎧武者は、興味津津、身を乗り出してきたので
Tさんは右肩に重みを感じ、
思わず、
「こらーっ! 重いっちゅうねん! 離れろーっ!」 (笑)
ろくに下調べをしていなかったにも関わらず、なぜかすんなりと
到着。

Tさんは、さっそく「浄化」に入る。
以前、長野県全体を浄化した時のように、船をイメージする。
が、今回も船はあっという間に満杯となり、やはりタンカーを
出動させるはめに・・・。 (笑)
光に帰ることを躊躇していたり、隠れている者にも呼びかけ、
全員が乗ったところで、いざ、出発。
「みわ」殿は船に、鎧武者はタンカーに乗って。
無事、光に帰って行ったそう・・・・。
思いの外、スムーズにできて、
Tさんも、「あれ? こんなもん?」ってあっけなく感じたらしい。(笑)
その後、合戦の地となった土地、山、木々も気になったので、
光を送ってあげたのだとか。
ママ: ほら、昔、そこで大勢の人が戦って、血を流し、命を
落としたわけでしょう?
山や木々もみんな目の前でそれを見ていたし・・・。
だから、浄化してあげようと思ったんだって。
すると、意外なことに、合戦に参加した武将たちではなく、
足軽たちの感情がどっと押し寄せてきたのだとか。
ママ: 「足軽」っていう人たちはね、もともと武士ではないの。
大部分が農民だったんだって。
臨時雇用みたいな感じで、平安~鎌倉時代においては、
戦場での下働きをしていたんだって。
だから、戦うことはなかったの。
室町時代になって戦法が「一騎打ち」から「集団戦法」へシフト
していくと、戦いに参加させられるようになっていったらしい。
関ヶ原の戦いが起きた戦国時代においては、戦闘部隊の大半を
足軽が占めるようになっていて、彼らは最前線で、まるで捨駒の
ように扱われることもあったのだとか。
農民たちは徴兵制によって、半ば強制的に戦に駆り出されていた。
Tさんがキャッチしたのは、そういう彼らの「想い」だったのだろう。
「殺すなんておっかない! でも、やらねば、やられる」
絶望や後悔にさいなまれながら、最前線で戦った彼らの想い・・・。
「村に、家族の元に帰りたかった」
悲しみの中、息絶えていった彼らの想い・・・。
普段、百姓や下働きをして穏やかに暮らしていた彼らは
時代の波に翻弄されて、その尊い命を戦場で散らしていったのだ。
Tさんは彼らを光に帰そうとしたけど、なかなか帰らなくて、
何度も何度も呼び掛けたのだそう。
ようやく何度目かの呼びかけで、成功した。
ママ: その光景はね、まるで洗濯洗剤のCMみたいだったって。
洗濯機に汚れがフツフツと浮いてきて、そして離れていく
ような・・・・。
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