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聖なる樹のヒプノセラピー物語      

ヒッピーになりそこねた(71)


家賃は月単位だったから、

帰国まで数日を残していたママは部屋を引き払い、

アヤノの家にお世話になった。


後日、そのオスタルに移って来た日本人から、


「マサコさんが出て行った翌日、

フィナが部屋をノックして、

『マサコ、マサコ!』って呼びかけてたから、

「マサコはもういないよ」って言ったら、

あっ!っていう顔をして、涙ぐんでたよ」

と聞かされて、ちょっとつらくなった。


ママ: 家族のように接してくれてたの。

   みんなでハイキングとかに行くときも一緒に

   連れて行ってくれて。


   お部屋を借りている人は長期滞在者が多かったから、

   月に1回、自国の料理を持ち寄ってお食事会も

   やってくれたし。

   アメリカ人、ブラジル人、チリ人、日本人・・・。


私: ママは何を作ったの?


ママ: もうひとり日本人の女の子が住んでいて、

  その子が持っていた「ちらし寿司の元」を

  使って、簡単ちらし寿司。

  フィナはパエリャを作ってくれたっけ。


  住居者専用のキッチンもあったから、

  そこが談話室みたいになってて、

  リビングも共有だったし、

  けっこう楽しい共同生活だったなあ。


  若い大家さん夫婦に、いろんな国の下宿人たち、

  みたいな。


私: 今でいう、シェアアウスみたいな感じだね。


ママ: そうだね。

  そこに大家さんも一緒に住んでいる、みたいなね。

  大家さんっていっても、フィナは28歳だったし、

  長期滞在者はみんな20代だったからね。

  和気藹々だったね。


フィナは造花が大好きって言ってたから、

帰国したらいっぱい送ってあげようと思っていたのに、


ママ: もう30年以上経っちゃった・・・。笑



帰国の日は、アヤノが駅まで見送ってくれた。


ママは列車でイタリアへ行き、

現地の日本食レストランで働いている友人宅に

しばらく泊めてもらって、そこから飛行機で

日本へ帰る予定だった。


ママ: 列車が動き始めたら、

  当時流行っていた「Mi España(=私のスペイン)」という曲が

  急に頭の中を流れ始めたの・・・。


  涙が溢れてきて、

  胸が張り裂けそうなくらい悲しくて悲しくて・・・。


  「Mi España、Mi España」って心が叫んでるの。


  帰国するって決めたたときも

  別になんとも思ってなかったのに、

  いざ、マドリッドを離れ始めたら悲しみがこみ上げてきて・・・。


私: それって、過去世からきてたのかな?


ママ: きっと、そうだね。

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